読んだ:Layne, C. (1994). Kant or Cant: The Myth of the Democratic Peace. International Security 19(2), 5-49.

Layne, C. (1994). Kant or cant: The myth of the democratic peace. International security, 19(2), 5-49.

著者:クリストファー・レイン - Wikipedia
原文(pdf):

https://web.stanford.edu/class/polisci243b/readings/v0002542.pdf

仕事中暇だったので読んでみたら面白かったので概要を記録。

そもそも民主的平和論って冷戦時代の感覚が慣性として残ってるだけの代物だろ、さすがに論文古すぎだし今更批判を読んでもおもんないんじゃないか、と思ったけどそういえばマスコミはずっとこんなんだし日本政府もこんな感じだった。。
この論文が書かれた時代は冷戦の空気が残ってたから民主的平和論ももっともらしく感じられ、批判も新鮮だったのかもしれないな、と思うと少し面白い気がした。

もちろん要約の正しさは保証しません、気になったら原文を見てね。

 

--以下概要--

民主的平和論(民主的平和論 - Wikipedia)の主張は、民主主義国同士は①戦争をめったにしない②もめても武力による脅しをめったに行わない、ということである。

根拠としては、①政治制度の構造②民主主義の規範・文化の2種類が挙げられる。しかし、①は民主主義国家と民主主義でない国家のペアが民主主義でない国家同士と同じくらい戦争することを説明できない。②は民主主義の規範・文化が共有されていることにより、国際問題が国内問題と同様に平和的に解決できるという議論である。①はダメなことが明らかなため、②を根拠と考えて民主的平和論をチェックする。

テストケースとして、民主主義国同士が戦争の寸前で戦争を回避した例を考え、戦争が回避されたメカニズムが民主的平和論の提示するメカニズムで説明されるか、現実主義で説明されるかを考える。
例1:トレント号事件 - Wikipedia
例2:Venezuelan crisis of 1895 - Wikipedia
例3:ファショダ事件 - Wikipedia
例4:ルール占領 - Wikipedia

結果、どのケースも民主的平和論ではなく現実主義で説明される。
これらの例で少なくとも一方の国は戦争する気まんまんで、戦争が回避されたのは他方の国が現実主義的な計算で引き下がったからに過ぎない。
したがって、民主的平和論の理論的根拠には説得力がない。

統計的根拠も怪しい。①そもそも戦争自体そんなに頻繁に起こらないこと②1945年までは民主主義国自体が少ないことから、民主主義国同士の戦争が少ないのは当たり前である。さらに、戦争をした一方の国が民主主義国でないならば民主的平和論の反例から除外できるが、かなり無理なケースも除外されている。民主的平和論とは逆に、国際関係が国内体制を決める、すなわち「戦争の危機にある国は民主主義になりにくい」という因果関係も成り立ちうる。

理論上は崇高に聞こえるが、民主的平和論に基づきアメリカは、過剰な軍事介入、過剰に拡張的な政策を行い、勢力を減退させている。例えば、民主的平和論に基づき東欧を民主化する際、NATOを拡大し、安全を保障しようとした。しかし東欧はもともと不安定な地域であり、NATOの東方拡大によりアメリカはドイツ・ウクライナ・ロシアなどが関与する地域紛争に巻き込まれるリスクを明らかに増加させている。民主的平和論は事実ではなく願望に基づいた理論であり、アメリカはこのような理論を採用するのをやめて、現実的に考えるべきである。